杜の泉内科循環器科

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斜に構えた修験道

斜に構えた修験道

先日、鳥海山近くの里山胎蔵山を娘と歩いてきた。名前の通り修験の山だが、里山の常として、登山口を探してうろうろ迷った挙句、畑の畔を歩いていた人に訊くと、私の持っていたガイドブックを見ながら“こっちからのぼれんのかな~?”と自分の里からの方がお勧めのような言い方だった。しかし、教えてもらった通りに行くと立派な薬師神社があり、ガイドマップ板もそろっていて、道なりに登り、中の宮、山頂の奥の宮と長く、静かな道を楽しめた。しかし中の宮の下近くまで、道を訊いた里あたりから林道が上がって来ていて、薬師神社里宮から中の宮間の距離がかなり長かったので、地元ではそちらを使うのが常識だったのだろうと思えた。しかし明治の修験道廃止令以前は、村人はブナの林の中を延々とあるき、その長さで心身を自然に浸しきったのだろうという思いがした。そして、月山や、鳥海山へ登拝する体力と感覚を養うのだ。その日山登りをする人には出会わなかったが、地竹採りをする2組くらいに会った。長靴を履いた格好をみて、要らない!とおもったが、“中の宮まで15分くらい!”と教えてくれた。そこからが登りがきつく案の定私には中の宮まで1時間かかった・・・。
―2年前、鳥海山をテーマとして由利本荘市で山岳修験の研究会が開かれたが、そのときに学会員が“前の時、南蛮燻に参加してひどい思いをした!”と楽しそうに話すのを聞いて、この世界では良いにつけ悪しきにつけ浸りきるという要素が重いのだろうと考えた。その前日、祓川コースを日帰りして、心身ともに疲憊仕切っていた私には、体を素材にして気持ちの多層性を味わうことの意味合いがすっと理解できた。

もちろん、しみじみとばかりではない。数年前、大峰山山上ガ岳に登った時、山上の宿坊でまかないをしていた方にお願いして、裏行場を案内していただいた。途中、かなり跳躍しないと行けない岩峰があり、捨て身の行で飛んだ人もいると聞いた。かなり致死率の高そうな行である。表行場の鐘掛け岩で、登ろうと身づくろいをしている私を見て、通りかかった人がつぎつぎに声をかけてくる。“やめやめ、下から見ると簡単そうだけど上に行くとせっぱつまるで~”“わしも登ったけど、先達に足場指示してもらわんとえらいで~”“一人ではあかん!”と言われて、あんなに足場があるのに、と断念した翌日である。

昨年は兄を誘い、高尾山で開かれた研究会に参加した。実地見学で山は登ったが、途中での琵琶滝の滝行も参加を希望していた。しかし、その先月に、家内と一緒に訓練と称して雨の降る鳥海山を湯の台口から登ったが、途中で低体温気味になり、あぶなく死ぬところだった思いをして、棄権したが、兄は参加した(兄は修験道などまったく興味がないにもかかわらず)。目の当りにすると、8人の参加者だったが、先達の掛け声で、“南無大日大聖不動明王”と8回でっかい声で唱えるのに唱和する。しかし一人また一人と時間が経過するごとに、寒さでかすれ声になり、そして絶叫になっていく。後で兄が言っていたが、下見をしたときは(何と、下見をしたのだ~!)滝もほそぼそだったが、当日は水量も多く、どばっと背中を押す流れに浸って待っているとそこはかとなく冷え、“大友様、順番が1番でよかったね~”と口々に言われたそうである。まだ、浸った感想を兄からみっちりとは確認していないが。

私は、福島市で育った。中学は信夫山の山麓というよりも中腹にある第四中学校に通った。野球部に入り山を縦横に走りこみ足腰を鍛えた。その時に一向にうまくならない野球よりも羽黒山、湯殿山など雰囲気のある里修験の山に呑まれてしまっていたらしい。山頂から、吾妻山、一切経などを飽かずに眺めた記憶が今も新しい。昨年ひとりで、家形山への道を辿っていると、上からテントなどを持った重装備の登山者が一人降りてきた。吾妻山神社のことを聞くと、“一人では無理かもね~”と自分では一人で行っていると話していたくせに、心配そうに眺められてしまった。奥はまだまだ深い・・・・、そして愉しみはまだまだ続きそうである。